4月4日から二十四節気5番目『清明』に入ります。清明とは「清浄明潔」という言葉を省略したものです。澄んだ空気と光が万物を照らし、生き生きとしている様子を表します。
今回のカードリーディングをみると、『清明』期間はとても大切な時期です。カードで『取るべき行動を表す場所』にタロット大アルカナ最後のカード『21 世界』が出ています。

これは「完了」を意味します。出た場所の意味とあわせて考えると、今期はひとつの区切りをつけること、迷いや葛藤から自由になることがテーマです。無頓着に今の状態を続けてはいけないというのがこのカードに隠されたメッセージです。
具体的にはペンタクル(金貨)の領域がクローズアップされそうです。それは仕事やお金、健康ですが、それだけでなく、「ごく普通の日常の中にある霊的真実、日常生活の中にある魔法」まで範囲が広いです。
まず、あなたが現在「わかっているけれど、もっとよくみるべき何か」として、ペンタクルの6が出ています。

このカードは複合的な解釈が成り立つ、奥の深いカードです。今回このカードと対になるカードはワンドの3です。

顕在意識はペンタクルの6、潜在意識はワンドの3と考えると、とてもポジティブな意味が浮かび上がります。
それは視野を広げ、将来の成功のための種まきをはじめなさい。今こそ、そのときという意味です。
それには大切な条件があります。それは前回のカードリーディングの内容をきちんと消化したか、学ばなければならないことを学び取ったかです。
カードによると、現時点では学びとっていない可能性が高いことが暗示されています。前回は好運を現す場所に出ていたソードの7が、今回は危険な場所、用心すべき場所に出ています。

今回このカードが現すのは自己欺瞞(自分に嘘をついていて、物事を正面から見ようとしない)の意味合いが大きいですが、他の意味としては以下があります。
窃盗や欺瞞をはじめとする卑怯な行為に備え、妥当な予防策を取るよう助言している。
信頼できると思っていた相手が表裏のある人間だと発覚するかもしれない。
臆病さと優柔不断さのせいで考えがまとまらず、地道な努力ができずにいるのかもしれない。
非現実的な夢を追ったり手に余ることを計画したりしないように、賢明な忠告を求めたいと考えているのではないだろうか。
アンソニー・ルイス『タロット事典』
また、今回「状況から引き出すことができる幸運なこと」を現す場所にはペンタクルの7が逆位置で出ています。

どちらも逆位置で出ているので、多分今回のメッセージを理解するのは難しい、受け入れることに抵抗が強いのだと思いますが、ここは勝負どころです。
ペンタクルの7 逆位置
経済的安定についての懸念が示唆されている。時間、資源、金銭の投資に十分な見返りがないかもしれないと心配しているのではないだろうか。投資したものが成熟するには時間がかかるのが当たり前。短気を起こせば資源を無駄にしたり、プロジェクトが頓挫したり、好機を逸したりしかねない。
成功したければ自分が置かれた状況を現実的に評価し、健全な財政運営の原則に従う必要がある。
何をすればいいのかわからない場合は、専門家から助言をもらおう。空想に耽ったり、的外れなことを重視したりしても、不安を招いている状況を見直す助けにはならない。
このカードと関連付けられた土星は、懸命に働き続けなければならないことを示唆している。プロジェクトからは努力に見合った報酬を得るだろう。痛みなくして得るものはない。
アンソニー・ルイス『タロット事典』
ペンタクルの7は仕事を意味します。それが逆位置で出ているということは、満足の得られない仕事や義務にがんじがらめになっていることによる慢性的な不満、とりわけうまくいっていないプロジェクトから生じるあらゆる不満や悩みを意味します。(レイチェル・ポラック)
ということは前回と同じで、きちんと自分の本音や抱える状況と向き合うことが大切です。
うまくいっていないことや不満を人のせいにして無意識的に被害者意識を持ったり、現状をずるずる続けることはやめること。うまくいっていない苦しみや試練から何を学んだかを明確にすることが区切りとなり、新しい扉を開くことになります。
自分の力では解決が難しい場合、客観的アドバイスをくれる専門家に頼ることも視野に入れた方が良いです。
「仕事やお金、健康に対する不満を見つめて、何が原因か把握して次の段階にいくこと」と書きましたが、その答えとして大アルカナ最後のカード「21 世界」が出ているということは、もっと本質的なことが問われているのだと思います。世界のカードではダンサーが描かれています。

このカードは、創造的に生きることを現しているように見えます。今期のカードでペンタクル(土の要素)が多いことと合わせて考えると、カバラの話が思い浮かびます。
学びと瞑想を通して 4人のラビ(聖職者)は天国へと入っていきました。
ラビ・ベン・アザイは、あまりにも強烈なエクスタシーを経験したため、その場ですぐに倒れ死んでしまいました。
ラビ・ベン・ゾーマは、洪水のように押し寄せる経験に圧倒され、発狂してしまいました。
ラビ・ベン・アビューシは、自分の信じていた基本的教義ないし、一神教と矛盾する二人の神のような何かを目にし、その結果、背教者となってしまいました。
ラビ・ベン・アキバだけが天国に入り、 そして無事に出てきました。
私たちは タロットの象徴体系を基に この物語を説明することができます。
ラビ・ベン・アザイは、あまりにも火の方向に行き過ぎたので、自分自身を燃やし尽くしてしまいました。
ラビ・ベン・ゾーマは彼の理性を圧倒するほどの感情(水)に身を委ねてしまいました。
ソードのエネルギーに傾きすぎていたラビ・ベン・アビューシは、聖書で読んだことや見たことを、文字通りのものとして受け入れてしまいました。
ラビ・アキバだけが、土のエネルギーの中で他の元素(火、水、風)とのバランスを取り、正しいやり方で自らの体験を理解することができたのです。
レイチェル・ポラック『タロットの書』
大アルカナ最後のカード『世界』で物事を完了させるには、熱狂的に何かをしたり、感情に溺れたり、頭だけで机上の空論を闘わせたりするのではなく、すべてのバランスをとりながら日常の中に自らが学んだことを落とし込んでいく態度が重要になります。
今回のカードリーディングで大切なのは、新しいものの見方に心をオープンにできるかです。それは『世界』のカードのダンサーのように日常を創造的に送ることです。創造的とはどういうことかについて、OSHO は次のように語っています。
あなたが何をしていようと、あなたがそれを楽しみ、それを愛をこめて行っているならば、もしそれを行うあなたの行動が純粋に経済のためではないならば、それは創造的だ。
(中略)
創造的であることとは、あなたがすること、なすことすべてを愛することー楽しむこと、それを祝福することだ。
それは誰にも気づかれないかもしれないー床をあなたが掃除していたとしても、誰もあなたを褒めてはくれないだろう。歴史に残ることでもなく、新聞にあなたの写真や記事を載せてくれるわけでもない。しかし、そんなことは関係のないことだ。 あなたはそれを楽しんだ。価値はそこにあるのだ。
だから、 もし、あなたが名声を求めており、有名になれば自分は創造的だと考えるなら、もし、 ピカソのように有名になったら、自分は創造的だというようにーあなたは大事なものを見失うだろう。
そのとき、あなたは実際には少しも創造的ではない。
あなたは政治家だ、あなたは野心家だ。もし、名声がやってくれば、それはそれで良い。そんなことが起こらなくても、それで良いのだ。そんなことは考えなくても良い。考えなければならないことは、あなたがしていることをあなたは楽しんでいるかどうかだ。それはあなたの愛の行為なのだ。
もしあなたの行為が、愛の行為であれば、それは創造的になる。小さなことが愛と喜びによって大きなものとなる。
『Creativity 創造性』OSHO
『創造的であることとは、あなたがすること、なすことすべてを愛することー楽しむこと、それを祝福することだ』究極的にはこれが「責任をとる」ことであり、ベン・アキバの『正しいやり方で自らの体験を理解する』ことなのだと思います。
良い日々になりますように。

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