10月8日(日曜日)から二十四節気で『寒露』に入ります。朝と晩の冷え込みが厳しくなってくる頃です。
今回カードを引いたところ、やはりまだ無秩序な状況が続いているようです。そして何かに対する怖れから何かと「戦わなければならない」と思っていた。でも今では弱気になったり、困惑したりで、優柔不断になりやすいようです。
もし今回のカードの中で一枚カードを選ぶなら、以下が一番状況をシンプルに表しています。
このカードは『インディゴエンジェルオラクルカード』です。インディゴとは、私の理解では、「今の社会システムにあわないために発達障害といわれがちな人で、本来は新しい時代の幕開けを告げる改革者の役割を持った人」を差します。
引いたカードは「権威」のカードです。以下は解説書そのままです。
権威ある人たちと向き合う時は穏やかで力強い 自己主張を意識しましょう
今の世の中では秩序を保つために権威ある人たちが作ったルールを守るという形が確立されています。しかし時に権威ある人たちは与えられた力を濫用します。 あなたはインディゴとして心の奥底で真実を感じ取ることがあるはずです。
このカードは最も大切な1枚です。
インディゴであるあなたが担う役割は、この惑星と社会を公平さで満たすことに他ならないからです。 権威ある人たちと向き合う時も、怒りを感じる必要はありません。怒りによってもたらされるものは何もありません。怒りではなく、 穏やかで力強い 自己主張を意識しましょう。
誰かに コントロールされている、あるいは 誰かが作ったルールに従わされていると感じる時は、天使に頼み、 その状況から穏やかな方法で抜け出せるようにしてください。それはあなたの平和的なリーダーシップから恩恵を受ける人たちのために道を開くことにもなるのです。
権威のカードの前には『創造のとき』のカードが出ています。怒りや怖れなどの『強力だけれど方向づけされていないエネルギー』を秩序づけるには、静かな時間をとり、内省し、自分がどうしたいか考えることが必要です。
今回引いたカードはすべて「なんとかして行う」「流れに逆行して泳ぐ」ような行動を取らないように警告しています。
もしあなたが先に書いたインディゴのような気質があるとしたら、今期は感情的な面がマイナスになって現れがちです。
「気難しく、神経質で、文句を言わないと気がすまない」あるいは「自分自身のことを決めることができず、依存的で、自分の問題で人を責めたりする」ことをしがちなので、注意した方が良さそうです。
細かく書けばいろいろありますが、今回は『Creativity 創造性』OSHOの本から、まさに今回のカードの意味と思った文章があったので引用して終わりにします。
OSHOは1970年代から1980年代に活躍したインドのグルです。断定的な言い方をするので好き嫌いがわかれると思います。でもOSHOはすでに亡くなっているし、本を読むだけなので、あまり気になりません。
私はOSHOと全く似ておらず、小さなことにくよくよするし、ストレスですぐお腹も痛くなるようなタイプですが、そういうときにOSHOを読むと、そんな「弱い自分」を客観的に見れて、蹴飛ばす勇気が湧いてきます。
自然は全ての人に 創造的なエネルギーを与える。それがせき止められ、自然の流れが許されなくなった時にのみ、それは破壊的になる
自分の人生をよく見なさい。あなたのしている多くのことは、ただあなたのエゴのためだ。
大きな家を作りたいーあなたは今のままの家で完全に居心地が良い。しかしあなたは大きな宮殿を作りたい。その大きな宮殿は自分のためではなく、その大きな宮殿はエゴのためだ。
あなたは今のあなたのままで完全に居心地が良い。しかしあなたはお金を貯め続けている ーそのお金は自分のためではない。エゴのためだ。世界で一番金持ちになるまで、あなたはどうして休むことができるだろうか?
だが、あなたは世界一の大金持ちになって何をするつもりなのかね?あなたはどんどん惨めになっていくだろう。
なぜならば、悲惨さは闘争からやってくるからだ。惨めであるということはあなたが戦っているということを示している。だから、責任を他人に押し付けてはならない。
人々は合理化するのがとても得意だ。もし自分が惨めであると、「自分ではどうすることもできないよ、過去世のカルマのせいで大変になっているのだ」と彼らは言う。
馬鹿げている!過去世のカルマはあなたを不幸にしたに違いない 。しかしそれは過去世でのことだ。なぜ今生まで待たなければならないのだ?そんなことは意味のないことだ。あなたの現在のカルマがあなたを不幸にしているのだ 。過去世のせいにする方が楽なのだろう ー今になって何ができるというのだね?
あなたは今のままでいなければならない。今になってはどうすることもできないのだ。手を振っただけで、過去を消すことはできないのだ 。あなたの過去を消すためのマジックなんて何もないのだ。(中略)
あなたは 責任を悪魔のせいにすることもできる。キリスト教徒はそうし続けている。ヒンズー教徒ならば、過去のカルマのせいにし続け、キリスト教徒は責任を悪魔のせいにし続けるー悪魔はあなたに罠を仕掛けているに違いない。あなたを罠にかけて惨めにしているのも、あなたを地獄に引きずり込み続けているのも、あなたではなく、悪魔なのだ。
でも誰があなたのことなどを気にするだろうか?一体悪魔があなたのことを構ったりするだろうか?(中略)
いつも 原因は何か他のもののせいであり、自分ではないと言っている。現在の自分のせいではない、というのだ。
では、私に言わせてほしい 。それはあなたのせいなのだ。もしあなたが不幸であるならば、それはあなたのせいであり、あなただけに責任がある。過去のせいでもなければ、社会構造のせいでもなく、 経済システムのせいでもないー何ものも助けてはくれないのだ 。
もしあなたがそのままのあなたならば 、社会がどんなに変わっても、あなたは不幸のままだ。どんな経済システムのもとでも、どんな世界のもとでも、あなたは不幸なままだ。ーもしあなたが今のあなたのままであるならば。
あなたが存在との戦いを落とし始めれば、最初の基本的な変化が起こるだろう。
「エゴを落としなさい」 と強調する時だけ、全ての巨大宗教は意味を持っている。彼らは「闘いを落とせ」 とも言っている。私は こちらの方を覚えていて欲しいと思う。なぜならば「エゴを落としなさい 」というのはあまりにも抽象的だからだ、エゴだって?エゴなんてどこにあるの?エゴって何?この言葉は徐々に知られていくだろう。 あなた方にはなじみが深い言葉 かもしれないが、とても曖昧模糊としていて、掴みどころがない。私はもっと実用的な言い回しにしたいのだ 。
「闘いを落としなさい 」
なぜならば(中略)エゴとはあなたが自分の周りに創り上げた全ての緊張に他ならない。そして 第一に、それを作り出す必要がないー しかし人はなぜそんなものを作り続けるのだろうか? そこには何らかの理由があるに違いない。 どうして人はみんなエゴ、自己を作り続けるのだろうか?
本当の自分がわからないからだ 。自己をなくして生きるのはとても難しい。だから人は偽物の自分を作り出す。自分の代替物だ 。本当の自分は分かっていない 。事実、本当の自分を完全に知るということは決してありえない。それは神秘的なままだ。それは言いようのないほど大きい。 定義することもできない 。
『Creativity 創造性』OSHO
今期だけではなく、これからしばらくは時代的にも安定した日々は来ないような気がします。でも、意識的に内省する時間をとって緊張を流すようにすれば、どんなときでも大丈夫なのだと思います。人工的な空間で情報にさらされ続けると精神的にも肉体的にもおかしくなりがちなので、一度スマホから離れて、なるべく自然の多い場所でぼーっとするのもおすすめです。
良い日々になりますように。
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