【大暑】後半(7月26日~8月6日)のカードリーディング
──祈りと独立のあいだで
ブレイクとともに歩く土用の道──
こんにちは。葉山 碧の館より、季節のリーディングをお届けします。
2025年の大暑、後半。
立秋を前に、空気は重たく、時間の流れも少し鈍るこの時期。
季節の狭間に立たされるような、あるいは「吊るされた男(逆位置)」のような、
足踏みと見える時間が続いています。
今回のカードは、私にとって何度も繰り返し引いてきたものでした。
まるで「まだこのテーマは終わっていない」と静かに告げられているような、
そんな感覚とともに。
◇ 今回引いた3枚のオラクルカード
1枚目:ゴーストランド(正位置)
2枚目:マジックプレイヤー 〜祈り〜(正位置)
3枚目:ワンリングサーカス(正位置)
◆ ゴーストランド(正位置)
「過去にも未来にも生きられない。今だけが、力のある場所」
このカードは、まだ形のない未来を“見すぎてしまう”ことで、
足元を見失ってしまう危うさを教えてくれます。
まさに「今ここ」にとどまることの難しさと、その尊さ。
この言葉に思い出されるのは「吊るされた男」──それも逆位置の感覚です。
過去の記憶と未来の理想にひっぱられて、
自分自身がどこにも立てないような、不思議な浮遊感。
でも、この浮遊のなかでこそ、私たちは“問い”を受け取るのかもしれません。
次に出たカードが、それを教えてくれました。
◆ マジックプレイヤー(祈りのカード/正位置)
「祈りは届いている。
あなたの思いではなく、“いのちの思い”が成し遂げられますように」
このカードは、祈りの本質を思い出させてくれるものでした。
ここで言われている祈りとは、「願いを叶えるために念じる」のではなく、
大いなるものに身を預けること。
必要なものは、かならずやってくる。
でも、それは「自分の思い通り」ではなく、
もっと深い、魂の目的に沿ったかたちで現れる。
その在り方は一見、受け身のように見えるかもしれません。
でも私はこのカードを引いたとき、こう思いました。
祈りとは、いのちの真ん中に立つこと。
まさに「吊るされた男」のように、自我を越えて別の視点に身を置くとき、
はじめて見えてくる光がある。
そんなことを、静かに思い出させてくれました。
◆ ワンリングサーカス(正位置)
「あなたの魂の旅は、自分の足で立って歩くもの。
そして、必要な助けは必ずやってくる」
このカードが出たとき、「ああ、そうか」と思いました。
吊るされた男が逆位置になるのは、
たぶん、“まだ誰かに期待しているから”なのだと。
このカードが伝えてきたのは、境界線の再確認。
「これは私の人生、これは他者の人生」
どこからが自分で、どこからが相手なのかを静かに見直すときが来ています。
他者から自由になって、自分で立つ。
そのときに必要なのが「祈り」であり、
そのためにこそ「今ここ」にとどまる必要がある──。
三枚のカードは、そんな風にひとつの流れを教えてくれていました。
◆ なぜ、同じようなカードを何度も引くのか?
カードを引くとき、「またこのカード?」と思うことがあります。でも、それは「できていないから」ではなく、「今こそ、もう一段深くそれを見つめる時だよ」とカードが告げているのかもしれません。
たとえば、今回の《ゴーストランド》《魔法の祈り(マジックプレイヤー)》《ワンリングサーカス》。そして、何度も現れる《吊るされた男》。
これらのカードが重ねて語っているのは──
- 他人の期待や外からの価値観を手放すこと
- 「どうにかしようとする力」ではなく、「預ける力」
- 自分の内なる知恵とつながり、境界線を保ちながら世界と関わること
というような、生き方の深いレッスンです。
🌕 けれど、「他人から自由になる」「祈って預ける」といった言葉は、今の社会のなかでは少し曖昧に聞こえるかもしれません。
たとえば:
- 「自分を信じて独立心を持つ」と言っても、それは孤立とはどう違うの?
- 「祈る」と「行動する」は矛盾しないの?
- 「他人の期待から自由になる」って、社会性や責任感とどうバランスをとるの?
現代の価値観で考えると、どこかで迷子になりやすいテーマかもしれません。
🌱 それでも繰り返し引くのは、きっと、私自身を含めて多くの人がすでにこの道を歩きはじめていて、「魂のほんとうの成熟」がこのテーマにあるからなのでしょう。
これらのカードは、「できたから卒業」と告げるのではなく、
「このテーマは今もあなたの魂の軸にある。
だから、次の段階に進む準備ができてる?」
と、優しく確認しに来てくれる存在なのです。
ブログを読んでくださっている方にも、もしかしたら同じようなテーマが浮かび上がっているかもしれません。
繰り返し現れるカードは、人生が深まりを増すのを許すための扉です。
それは、表面的な変化ではなく、
生き方の根っこを静かに見つめ直すような時間。
そして、
祈りと独立心、吊るされた男は、反対のようでいて、
同じ真実を指し示しているように思うのです。
それは、「外側の世界に支配されない自由な在り方」。
自分の中心に立ち、世界と関わる。
その在り方こそが、私たちの魂の本質なのだと、カードたちは語っているのかもしれません。
🕊 補足コラム|祈りと独立 ― ブレイクが教えてくれること
この季節のカードを読みながら、ふと詩人ウィリアム・ブレイクのことを思い出しました。
彼は18世紀から19世紀初頭のイギリスに生きた詩人・画家・版画家です。
幼い頃から「天使が見える子」として知られ、夢のような幻視とともに、誰にも真似できない言葉と絵を生み出してきました。
評価されず、貧困のなかで暮らしても、ブレイクは描くことをやめませんでした。
彼にとっての創作とは、「祈り」であり「独立」でもあったのです。
◆ 矛盾を抱えたまま祈るということ
ブレイクが一貫して描き続けたテーマのひとつが、**「無垢」と「経験」**という対極の世界です。
- 無垢(Innocence):子どものような純粋さ、信頼、神との一致
- 経験(Experience):搾取や欺瞞、知識の苦悩、孤独
彼はそれらを単純な善悪ではなく、魂の成長に欠かせない「両輪」として描きました。
矛盾を否定するのではなく、矛盾の奥にある全体性(Wholeness)を信じること。
その火花の中に、創造の源を見出すこと。
これこそ、ブレイクが祈るように作品を作り続けた理由かもしれません。
それは「吊るされた男」のカードが示す、逆さの視点とも重なります。
人が常識と呼ぶものを手放し、自らの魂の声に耳を澄ますあり方。
それは一見、何もしていないように見えて、
実はいちばん深く「世界と向き合っている姿」なのかもしれません。
◆ デヴィッド・ボウイが愛した詩人
20世紀の音楽シーンに多大な影響を与えたデヴィッド・ボウイもまた、ブレイクの熱心な読者でした。
彼の宇宙的で多面的なキャラクター造形、
神秘と科学が混ざり合ったような世界観――
それはまさに、ブレイクの幻視的な詩世界に通じるものでした。
たとえばブレイクは、「宇宙の扉が開く」ような詩を書いていました。
ボウイは、「星からやってきた存在」として、地上に立ち、歌いました。
🎵 I’m an alligator
I’m a mama-papa coming for you…
― David Bowie “Moonage Daydream”
創造とは、祈りと反逆が混ざり合うところに生まれる。
そう信じていたブレイクの姿勢が、ロックという形式で再び息を吹き込まれたのです。
◆ 日本で知られていない理由
日本ではブレイクは「難解な詩人」とされがちです。
彼の詩には独自の神話体系や宗教的な象徴がちりばめられており、
ときに訳すことすら難しい言葉で書かれています。
けれど、そこに込められた魂の叫びは、今こそ必要とされている気がします。
見えないものを信じる勇気。
正しさではなく、真実に耳を傾ける態度。
そのどれもが、疲れた現代に静かな光を投げかけてくれるからです。
◆ ブレイクのふたつの詩から
彼の代表作『無垢と経験のうた』の中に、対になる2つの詩があります。
🐑 The Lamb(子羊)より
🐑 原文:The Lamb(by William Blake)
Little Lamb who made thee
Dost thou know who made thee
Gave thee life & bid thee feed.
By the stream & o’er the mead;
Gave thee clothing of delight,
Softest clothing woolly bright;
Gave thee such a tender voice,
Making all the vales rejoice!
Little Lamb who made thee
Dost thou know who made theeLittle Lamb I’ll tell thee,
Little Lamb I’ll tell thee!
He is called by thy name,
For he calls himself a Lamb:
He is meek & he is mild,
He became a little child:
I a child & thou a lamb,
We are called by his name.
Little Lamb God bless thee.
Little Lamb God bless thee.
🌿 子羊(ウィリアム・ブレイク『子羊』全訳)
小さな子羊よ、君を創ったのは誰?
君は知っているかい、誰が君を創ったのか。
命を与え、野に遊ばせ
小川のそばや草の野に導いたのは誰?
喜びに満ちた衣をまとわせ
柔らかく白い羊毛で包んだのは誰?
谷間を喜びで満たす あの優しい声を
君に授けたのは誰?
小さな子羊よ、君を創ったのは誰?
君は知っているかい、誰が君を創ったのか。小さな子羊よ、教えてあげよう、
小さな子羊よ、教えてあげよう。
彼の名は君と同じ、「子羊」と呼ばれる。
なぜなら、彼自身が「子羊」と名乗ったから。
彼は穏やかで、やさしく、
小さな子どもとなってこの世に来た。
僕は子ども、君は子羊、
二人とも、彼の名を受けている。
小さな子羊よ、神の祝福を。
小さな子羊よ、神の祝福を。
「子羊」は、無垢な魂と神聖な存在を表しています。
守られるべきもの、あたたかい愛によってつくられたもの。
🐅 The Tyger(虎)より
原文:The Tyger(by William Blake)
Tyger Tyger, burning bright,
In the forests of the night;
What immortal hand or eye,
Could frame thy fearful symmetry?In what distant deeps or skies
Burnt the fire of thine eyes?
On what wings dare he aspire?
What the hand dare seize the fire?And what shoulder, & what art,
Could twist the sinews of thy heart?
And when thy heart began to beat,
What dread hand? & what dread feet?What the hammer? what the chain,
In what furnace was thy brain?
What the anvil? what dread grasp,
Dare its deadly terrors clasp?When the stars threw down their spears
And water’d heaven with their tears:
Did he smile his work to see?
Did he who made the Lamb make thee?Tyger Tyger burning bright,
In the forests of the night:
What immortal hand or eye,
Dare frame thy fearful symmetry?
虎(ウィリアム・ブレイク『虎』全訳)
虎よ 虎よ 夜の森に
燃えたつ光を放ちながら
その恐ろしい対称をつくったのは
いったいどんな 不滅の手とまなざしだったのかどんな遠い深海や天空で
君の眼に燃える炎が生まれたのか
どんな翼で その者は飛び
どんな手で その炎をつかみ取ったのかどんな肩と、どんな神秘の技が
君の心を形作ったのだろう?
そして 君の心がはじめて鼓動を打ったとき、
それを動かしたのは、いったい誰の、どんな恐ろしい手と足だったのだろう?どんな槌が、どんな鎖が、
君の脳を鍛え上げた炉にあったのか?
どんな金床でそれは打たれ、どんな恐ろしい手が
死のような恐怖を、ためらいなく掴みとったのだろう?星々が槍を投げ捨て
涙で天を潤したとき
その者は自らの業を見て微笑んだのか
子羊をつくったその者が 君をもつくったのか虎よ 虎よ 夜の森に
燃えたつ光を放ちながら
その恐ろしい対称をつくったのは
いったいどんな 不滅の手とまなざしだったのか
虎と子羊、強さと無垢、美しさと恐怖。
ブレイクはこの矛盾を、どちらかを否定することで解決しようとはしませんでした。
むしろ、この世界のすべてが神聖であると、真っ向から肯定しました。
同じ創造主が「子羊」も「虎」もつくったとしたら――
その創造の奥にある意志とは何か。
ブレイクは、人間がもつ破壊性や欲望、恐れすらも「聖なるものの一部」として見つめようとしました。
このふたつの詩を併せ読むと、
「無垢」と「経験」――そのどちらかではなく、その両方を抱きしめようとするブレイクの深い洞察が伝わってきます。
矛盾を切り捨てず、矛盾のあいだに橋をかける。
それこそが、今という時代において、もっとも切実な祈りではないでしょうか。
だからこそ、ブレイクの詩は「吊るされた男」と響き合うのだと思います。
すぐには理解されなくても、信じたものを生きること。
その在り方は、「祈り」と「自由」を重ね持つ勇気にほかなりません。
✨ おわりに
ブレイクは、世間から理解されないことを恐れず、
ただ自分の内なる声に従って、詩を描き続けました。
その姿は、オラクルカードに現れた「吊るされた男」とも重なります。
逆さのまなざしで、目に見えない真実に手を伸ばす人。
私たちもまた、騒がしい世界の中でときに立ち止まり、
心の奥にある「祈り」と「独立心」に、そっと触れてみたいですね。
いま、季節は少しずつ次へ向かっています。
このリーディングが、誰かの小さな灯火となれば幸いです。
次回は、8月7日『立秋』のカードリーディングをお届けいたします。
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