二十四節気十五番目の節気、「白露」に入りました。
期間は9月7日から22日までになります。
白露は文字通り、「しらつゆ」という意味。
秋の冷気が野草に白い露を宿らせる頃です。
日中はまだ暑さが残っていても、夜になると空気が冷え、朝には草花に露が光る。季節は少しずつ秋本番へと向かっていきます。
「しらつゆ」。
あらためて口にしてみると、とてもきれいな言葉です。
夏の終わりには、どこか切なさがあります。
賑やかだった季節が遠ざかり、日が少しずつ短くなっていく。
何かが終わってしまう寂しさと、これから始まる季節への気配が、同じ空気の中にあるような頃です。
そんな白露の時期に、レイチェル・ポラックの「ドクター・アポロのなんでもスプレッド」で5枚のカードを引きました。
今回出たカードは、
「知られしものよ!」――節制・逆位置
「知られざるものよ!」――隠者・正位置
「危うし!」――ペンタクルの8・逆位置
「幸運よ!」――ワンドのエース・逆位置
「アクション!」――カップのページ・正位置
です。
大アルカナが最初の2枚に現れました。
もしかすると今は、私たちが思っている以上に、大きな変化の途中にいるのかもしれません。
節制・逆位置――極端な方向へ振れない
最初の「知られしものよ!」には、節制の逆位置。
節制のカードには、天使が二つのカップの間で水を移し替える姿が描かれています。
前回、処暑のリーディングでは、この節制が正位置で現れました。
そのとき私は、節制を単純な「バランス」ではなく、自分に合う配合を見つけることと読みました。
ところが白露では、その節制が逆さまになっています。
うまく配合できない。
どちらか一方へ偏ってしまう。
あるいは、行き過ぎた行動を取りたくなる。
そんな状態を表しているように思います。
世の中が大きく変わっているように感じるときほど、人は「早く次の答えを見つけなくては」と焦るのかもしれません。
古いものか、新しいものか。
続けるのか、やめるのか。
こちらなのか、あちらなのか。
けれど、盤面が変わっている最中だからこそ、すぐにどちらかへ振り切らなくてもいいのではないでしょうか。
隠者・正位置――ランタンが照らす範囲を見る
「知られざるものよ!」には、隠者の正位置。
灰色のマントをまとった老人が、山の頂に一人立っています。
手にしているのは、小さなランタン。
隠者というと、孤独や世間から離れることを思い浮かべますが、私は今回、このカードから結論を急がず、慎重に自分自身を見ることを感じました。
ランタンは、世界のすべてを一度に照らしてはくれません。
照らしてくれるのは、せいぜい自分の足元と、その少し先くらい。
でも今は、それでいい。
世界がどこへ向かうのか。
これから何が正解になるのか。
自分は最終的にどこへ行くのか。
そんな遠くまで見通そうとするより、
「私は今、何を感じているのだろう」
と、自分の足元を照らしてみる。
外側の世界が騒がしいときほど、この小さなランタンが必要なのかもしれません。
ペンタクルの8・逆位置――積み重ねてきたものを投げ出さない
「危うし!」には、ペンタクルの8の逆位置。
正位置では、職人が一枚一枚ペンタクルを作っています。
派手なカードではありません。
同じような作業を繰り返しながら、少しずつ技術を磨いていく。
時間をかけて何かを身につけていくカードです。
それが逆位置で「危うし!」に現れました。
私はこれを、じっくり時間をかけることや、長い目で物事を見ることがおろそかになりやすいという警告のように感じました。
最初の節制の逆位置ともつながっています。
バランスを崩して極端な方向へ振れたとき、
「もう全部やめてしまおう」
「今までのやり方は全部古い」
「早く別のことを始めなくては」
と、それまで積み重ねてきたものまで放り出したくなることがあります。
でも、新しい盤面になったからといって、それまで培ってきたものすべてが無意味になるわけではありません。
急いで結論を出さず、長い時間の中で考えてみる。
それもまた、隠者の慎重さにつながっているように思います。
ワンドのエース・逆位置――今は、火がつかなくてもいい
そして、とても面白いのが「幸運よ!」です。
ここには、ワンドのエースの逆位置が出ました。
ワンドのエースは本来、新しい情熱や創造性、何かを始める強い衝動を表すカードです。
けれど今回は逆位置。
しかも、それが「幸運よ!」。
だとしたら今回ばかりは、
すぐに新しい火がつかないことが、かえって幸運なのかもしれません。
何かを始めなくては。
次の目標を決めなくては。
新しい時代に合わせなくては。
そんなふうに急いで火を起こさなくてもいい。
今はまだ、隠者のランタンくらいの小さな灯りで、自分を照らしている時期なのかもしれません。
火がつかないことを、停滞と決めつけない。
ためらっている自分を、弱いと思わない。
まだ始めないという時間にも、意味があるのでしょう。
カップのページ――まず、魚と話してみる
そして最後の「アクション!」に現れたのが、カップのページです。
このカードの人物は、なかなかおしゃれです。
華やかなチュニックをまとい、頭には帽子。海辺に立って、手にはカップを持っています。
そして、そのカップから――なぜか魚が顔を出しています。
ページはその魚を驚いて見つめています。
ちょっと不思議で、ちょっとユーモラスなカードです。
レイチェル・ポラックはこのカードについて、スピリチュアルなものや空想的なものへの、必要に迫られたわけではない純粋な興味、そして欲望というより喜びに満ちた人物として読みます。
静かな水面を眺めるように、自分の想像力から自然に湧いてくるものを楽しむ。
今回のカップのページには、そんな軽やかさがとても大切なのだと思います。
外の世界が荒れている。
自分のバランスも崩れそうになる。
今まで続けてきたことを投げ出したくなることもある。
だからといって、すぐ新しいことを始めなくてもいい。
まず静かになって、自分の内側を眺めてみる。
すると、カップの中から突然、魚が顔を出すかもしれません。
「こんなことをしてみたいな」
「こんなふうに暮らせたら素敵だな」
「なぜだか分からないけれど、これが気になる」
まだ理由なんてなくていい。
実現可能性も、収益性も、必要な資格も(笑)、今は考えなくていい。
まだ魚と話している最中なのに、事業計画書を作り始めなくてもいいのです。
まずは、
「あなた、どこから来たの?」
と聞いてみる。
そのくらいの余白が、今は必要なのかもしれません。
手放した先で見えてくる、小さな夢
前回、処暑後半のオラクルカードリーディングでは、
「手放した先で、夢は新しい形を見つける」
というメッセージを受け取りました。
最後に現れたのは、「Reaching for Your Dreams――夢に手を伸ばす」というカードでした。
今回のカップのページは、その続きを語っているようにも見えます。
ただし、夢に手を伸ばすからといって、すぐに大きな目標を掲げて走り出す必要はありません。
新しい夢は、最初から「夢」という立派な姿では現れないのかもしれません。
ほんの小さな興味だったり、
「なんだか好き」
という気持ちだったり、
ふと頭に浮かんだ空想だったり。
夢を決めるのではなく、夢想してみる。
そして、それを少し楽しんでみる。
それが白露のカップのページなのだと思います。
秋の朝、草の上に宿る白露も、とても小さなものです。
気づかずに通り過ぎてしまうこともあるでしょう。
けれど、立ち止まって見れば、その小さな一粒の中に空が映っています。
私たちの心に生まれる小さな夢も、そんなものなのかもしれません。
世界が揺れているときほど、大きな答えを急いで出さなくてもいい。
長い目を失わず、少し静かになって、自分の心を眺めてみる。
そして、そこからひょっこり顔を出したものがあったなら。
まだ名前をつけなくても、形にしなくてもいいから、少し話をしてみる。
夏が終わり、空気が静かに冷えていく白露の頃。
しらつゆを眺めるように、自分の想像力から生まれるものを楽しんでみる。
今は、それくらいがちょうどいいのかもしれません。
葉山 碧の館のカードリーディング
人生の盤面が変わったとき。
今までのやり方が、なんとなくしっくりこなくなったとき。
私たちはつい、「では、どうすればいいのだろう」と、すぐに答えを探したくなります。
けれど、まだ答えを決めなくてもいい時期もあるのだと思います。
葉山 碧の館のカードリーディングでは、カードに「正解」を決めてもらうのではなく、カードに現れた象徴を眺めながら、
今、自分の中で何が起きているのか。
何に心が動き、何に違和感を感じているのか。
そして、まだ言葉になっていないどんな可能性があるのか。
そんなことを、対話しながら一緒に見つけていきます。
今回のカップのページのように、ときには自分でも思いがけないものが、心の中からひょっこり顔を出すことがあります。
それをすぐに「正しい」「間違っている」と判断するのではなく、
「あなた、どこから来たの?」
と、少し話をしてみる。
葉山 碧の館が、そんな時間を持てる場所になれたらと思っています。
カードリーディングについては、「ご予約・セッション」ページからご覧いただけます。

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