9月23日から10月7日まで、二十四節気では「秋分」に入ります。
秋分は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる頃。
ここから少しずつ夜が長くなり、季節は秋の深まりへと向かっていきます。
明るさと暗さが拮抗する、ひとつの境目。
春分と並んで、一年の中でも大きな切り替わりを感じさせる節気です。
今回も、レイチェル・ポラックの「ドクター・アポロのなんでもスプレッド」で、秋分の流れを5枚のカードに尋ねてみました。
出たカードは、
1枚目「認識しているけれど、もっとよく注意して見直すべきもの」
月・正位置
2枚目「認識していないけれど、学ぶ必要があるもの」
戦車・正位置
3枚目「極めて用心すべきもの」
吊るされた男・逆位置
4枚目「状況から引き出すことのできる有益な、あるいはパワフルなもの」
ペンタクルのナイト・正位置
5枚目「アクション――何をするべきか」
魔術師・逆位置
5枚のうち、4枚が大アルカナです。
今回のリーディングでは、日々のちょっとした出来事というよりも、価値観や生き方、進む方向といった、少し大きなテーマが強調されているように感じます。
けれど、その中にたった一枚だけ現れた小アルカナが、ペンタクルのナイトでした。
私は、この一枚が今回とても大切なのではないかと思っています。
月――水の底から、ザリガニが出てくる
最初のカードは「月」。
ウェイト版の「月」には、不思議な光景が描かれています。
空には大きな月。
左右には犬と狼。
遠くへ続いていく道。
そして手前の水の中から、一匹のザリガニが這い上がろうとしています。
レイチェル・ポラックは、このザリガニを、恐れや本能といった名前さえまだ与えられないような、私たちのもっとも原始的な部分からの揺さぶりとして読みます。
私たちの中には、まだ言葉になっていないものがあります。
「これが欲しい」
「こう生きたい」
と、はっきり説明できるところまで来ていないもの。
なんだか妙に気になる。
理由は分からないけれど、惹かれる。
急に昔のことを思い出す。
ずっと忘れていた何かを、もう一度やってみたくなる。
そんな形で、心の深いところにあったものが、ふいに水面へ顔を出すことがあります。
それは最初から、きれいな言葉を持って現れるとは限りません。
だから私たちは、
「こんなことを考えてどうするんだろう」
と、もう一度水の中へ押し戻したくなることがあります。
けれど、ポラックは、自分の荒々しい側面に抵抗したり否定したりすれば、自分自身を歪めてしまうことがあると書いています。
だったら、すぐに答えを出さなくてもいい。
まずは、
「あなた、何を伝えに出てきたの?」
と眺めてみる。
「月」は、太陽のようにすべてを明るく照らしてはくれません。
でも、昼の明るさの中では見えなかったものが、月明かりだからこそ見えてくることもあるのでしょう。
白露では、魚と話していた
ここで私は、前回の白露のリーディングを思い出しました。
白露のアクションカードは「カップのページ」。
カップから突然、魚が顔を出しているカードです。
そのとき私は、
「まだ魚と話している最中なのに、事業計画書を作り始めなくてもいいのです」
と書きました。
「なんだか好き」
「ちょっと気になる」
「こんなことをしてみたら楽しそう」
そんな小さな想像を、すぐに目標や計画へ変えなくてもいい。
まずは魚と話してみる。
そんな白露でした。
ところが秋分になったら――
魚と話しているうちに、もっと深いところからザリガニまで出てきました。
なんだか少し可笑しいのですが、象徴として考えると、とても興味深い流れです。
魚が運んできた小さな夢や想像。
その奥には、もっと古く、もっと本能的で、まだ言葉にもなっていない何かがあったのかもしれません。
「月」は夢や神話、ファンタジー、そして想像力の海にも関係するカードです。
秋分は、その海から浮かび上がってくるものを、否定せずに見てみる時間なのかもしれません。
戦車――両方を連れて進む
2枚目は「戦車」。
これは、自分ではまだ十分に認識していないけれど、学ぶ必要があるものです。
戦車の前には、白と黒、二頭のスフィンクスがいます。
光と闇。
理性と本能。
進みたい気持ちと、立ち止まりたい気持ち。
私たちの中には、いつも相反するものがあります。
そして不思議なことに、秋分もまた、昼と夜がほぼ同じ長さになる頃です。
秋分というと「バランス」という言葉を思い浮かべますが、今回のカードを見ていると、ただ静かに均衡を保つことだけではないように感じます。
均衡点に立ったからこそ、ここから向きが変わる。
戦車は、白だけを残して黒を捨てるカードではありません。
二つの異なる力を抱えたまま、ひとつの方向へ進んでいきます。
自分の中に新しく見つけたものを、邪魔者として切り離すのではなく、それも自分の一部として連れていく。
すべてを理解してからでなくてもいい。
すべての迷いが消えてからでなくてもいい。
まだ分からないものを残したまま、それでも進む。
それが、この秋分に学ぶことなのかもしれません。
吊るされた男・逆位置――それは、本当にあなたの物差し?
3枚目、「極めて用心すべきもの」には、吊るされた男の逆位置が出ました。
ポラックは逆位置の意味のひとつとして、社会からの期待や、自分についての他人の意見・信条から影響を受けすぎることを挙げています。
「普通はこうするもの」
「この年齢ならこう」
「ちゃんとした人ならこう」
「私という人間は、こういう人」
私たちは知らないうちに、たくさんの物差しを受け取っています。
だから、せっかく「月」の水面から何かが現れても、
「そんなことを考えている場合じゃない」
「私には似合わない」
「私にはできない」
と、すぐに水の中へ押し戻してしまうことがあります。
でも、その物差しは、
本当に自分で選んだものなのでしょうか。
吊るされた男は、いつもとは逆さまの角度から世界を眺めています。
これまで当たり前だと思っていた見方を、いったんひっくり返してみる。
ポラックは逆位置のもう一つの意味として、「ある状況から自分を解き放ち、先へ進む準備をする」ことも挙げています。
立ち止まって見る時間は大切です。
でも、見つめ続けることそのものが目的ではありません。
もう十分に見たのなら、そこから解き放たれてもいい。
白露で少し立ち止まり、自分の内側を見てきたからこそ、秋分では次の方向へ進む準備が始まるのでしょう。
ペンタクルのナイト――大きな変化の中で、今日の仕事をする
4枚目、「幸運よ!」にはペンタクルのナイト。
今回、私はこのカードがとても好きです。
5枚中4枚が大アルカナという中で、たった一人、ずいぶん地味な人物がやってきました。
カップのナイトほどロマンチックでもない。
ソードのナイトほどヒロイックでもない。
ワンドのナイトほど勢いもない。
馬さえ走っていません。
けれどポラックは、そんな彼こそ、ある状況では私たちに必要なのかもしれないと書いています。
勤勉であること。
報酬や名誉のためではなく、目の前の仕事に身を捧げること。
注意を散らさず、やるべきことを丁寧に続けること。
つまり、とてもグラウンディングした人物です。
大きな切り替わりの時だからこそ、人生を劇的に変えなくてもいいのかもしれません。
月の海から何かが上がってきても。
戦車によって進む方向が変わっても。
吊るされた男によって価値観がひっくり返っても。
今日やることは、案外いつもと同じです。
一ページ読む。
一つ片づける。
食事をする。
身体を休ませる。
約束したことをする。
目の前の仕事をする。
深いところから出てきたものを、現実の暮らしへ着地させる。
それが、今回の「幸運」なのかもしれません。
魚と話し、ザリガニが出てきたところで、ずっと水辺にいるわけにはいきません。
そろそろ地面を歩きましょう。
魔術師・逆位置――あなたの力は、今どこへ流れている?
最後のアクションカードは「魔術師」の逆位置。
魔術師は、本来、意志や知識、技術、集中力を使って世界に働きかける存在です。
けれど逆位置になると、その力との関係が少し歪むことがあります。
自分を疑いすぎて、持っている力を使えなくなることもある。
反対に、自分の意志ですべてを動かそうとして、結果まで支配したくなることもある。
アンソニー・ルイスは、逆位置の魔術師が出たときには、魔術師らしい行動を可能にする精神集中を妨げているものの正体を探ってみることを勧めています。
だったら今回のアクションは、
「あなたの力は、今どこへ流れていますか?」
と自分に尋ねてみることなのかもしれません。
自分を疑うことに使っているのか。
誰かを動かすことに使っているのか。
結果を思い通りにしようとすることに使っているのか。
あちらこちらへ散らしているのか。
それとも、ペンタクルのナイトのように、本当に大切な目の前のことへ注いでいるのか。
「もっと頑張りなさい」ということではありません。
「何もしないでいなさい」ということでもありません。
方向は選ぶ。
必要な一歩は踏み出す。
けれど、その先に現れる結果まで、すべて自分で作ろうとはしない。
自分にできることをして、その先は世界との共同作業にしておく。
そんな力の使い方もあるのだと思います。
全部が見えてからでなくても、進んでいい
今回の5枚をもう一度眺めてみます。
「月」は、心の深いところから浮かび上がってくるものを見つめます。
「戦車」は、相反するものを抱えながらも方向を定めます。
「吊るされた男・逆位置」は、他人から受け取った物差しによって自分を止めていないかを問いかけます。
「ペンタクルのナイト」は、大きな答えを探すより、目の前のことに丁寧に取り組みます。
そして「魔術師・逆位置」は、自分の力をどこへ注いでいるのかを見直します。
秋分は、昼と夜がほぼ等しくなる境目です。
でも、そこで季節が止まるわけではありません。
均衡点を通り過ぎながら、世界はまた次の季節へ動いていきます。
私たちも同じなのかもしれません。
すべてを明るい場所へ出して、完全に理解してからでなくてもいい。
心の中には、まだ月明かりでしか見えないものがあってもいい。
その中から何かが顔を出したら、すぐに答えをつけるのではなく、
「あなたは何を伝えに来たの?」
と少し眺めてみる。
そして、これまでとは違う自分が見えてきたなら、その自分も連れていく。
方向を決めたら、あとは今日の一歩を歩く。
結果まで握りしめなくてもいい。
秋分とは、もしかすると、
すべてが明らかになる地点ではなく、
まだ分からないものを抱えたまま、向きを変える地点
なのかもしれません。
白露では、魚と話していました。
そして秋分。
魚と話していたら、その奥からザリガニまで出てきました。
さて。
次は、どんな自分に出会うのでしょう。
月明かりの中で見つけたものを連れて、少しずつ次の季節へ進んでいきましょう。🌙
葉山 碧の館 セッションのご案内
自分の中にあるものほど、自分一人ではなかなか見えないことがあります。
なんとなく気になる。
なぜか心が動く。
これまでとは違う方向へ進んでみたい気がする。
けれど、それが何なのか、まだうまく言葉にはできない。
今回の「月」に描かれたザリガニのように、心の深いところから現れてくるものは、最初から分かりやすい姿をしているとは限りません。
葉山 碧の館では、カードに「正しい答え」を決めてもらうのではなく、カードに現れた象徴を手がかりに、対話をしながら今の自分を少しずつ見ていきます。
「もしかしたら、こういうこと?」
「そう、それかもしれない」
「ううん、少し違う」
そのどれもが、自分を知っていくための大切な情報です。
すべてを明らかにしてから、次へ進まなくても大丈夫。
まだ月明かりの中にいるようなときにも、そのとき見えているものから、一緒に確かめていくことができます。
そして、自分の中から現れたものをすぐに否定せず、
「あなたは何を伝えに来たの?」
と、少しだけ耳を澄ませてみる。
葉山 碧の館が、そのための静かな場所になれたらと思っています。
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